オレンジ色の空

還暦を迎えた主婦の想いをのんびり綴っています

8月になると思い出す本

(タイトルに“本”の字を加筆しました)


まだまだ暑い日が続きますが、今年も6日の広島と9日の昨日、平和祈念式典がありました


私はこの時期になると必ず「八月がくるたびに」と言う本を思い出します


小学校の課題図書になった本なので、覚えていらっしゃる方も多いかと思います


私も小学生の時、親に買ってもらったのですが、感想文が苦手な私は、楽しそうな本じゃないし興味も湧かず、何となく読みましたが書けずにいました


見兼ねた読書好きの8才年上の姉が、もう既に読んでしまったらしく、興味を持たせようとしてくれたのでしょう、白黒の写真の写ったページを開いて、「ほら、これを良く見てごらん、何が写ってる?」と言うので見てみると、それは全てが黒く焼き尽くされ、所々に焼け残った建物や電柱が立ち、その中を歩く人がいました


さらに目を凝らして見てみると、焼け崩れた瓦礫の中に頭蓋骨が有るのがわかりました
それから、あちこちに黒焦げになって人の姿を見つけた瞬間に、私は怖くなって思わず悲鳴をあげてその本を投げ出してしまいました


そして結局は恐ろしさで二度とその本を手に出来ずに、違う本の感想文を書いた記憶があります


それ以来、8月になり、広島と長崎の平和祈念式典のニュースが流れる頃になるとあの本を思い出します
今でも戦争の話や映画等をみるとあの時の写真が頭に浮かんで来ます
もう投げ出したり、逃げ出したりはしませんけどね


数年前に、あの時ちゃんと読まなかったことを後悔して、ネットで探したのですが、写真では無く、挿し絵の「新・名作の愛蔵版」はあるものの、私の探している初版本は見つかりませんでした
その愛蔵版を読んでみたのですが、あの時の衝撃は蘇って来ませんでした


どうして写真じゃなくなったのでしょうね?
私は全ての子供にとって何が良いのか間違っているのかは、わかりません
ですが、あの本は確かに小学生の私には怖すぎましたけど、お陰で、戦争の怖さも植え付けられた気がします


最後にこちらをお借りしました


八月がくるたびに


おおえひで作
理論社 1971年初版




 八月の長崎の空は、濃い青い色。教会の上に白い雲が浮かんでいます。きぬえが見上げると、白い雲の客船にはたくさんの子どもたちが乗っているようなのです。それは、原爆の小さな証人たち……。
一九四五年八月九日の朝、五歳だったきぬえは母のそばで、夾竹桃の花びらをおかずにして、人形のマルちゃんとままごとをしていました。天地が崩れるような轟きとともに、五万度の爆風に吹きとばされたきぬえは、川に落ちて助かりますが、母は家の下敷きにな
って焼け死にます。
絵のようにきれいだった浦上の町はまるで消しゴムで消されたよう。六年のきよしの小学校では千二百人の生徒が亡くなり、クラスはたった四人になっていました。まもなく、きよしも原爆症で世を去ります。「青空はなにかをかくしてるんだ」と記されたノートを
残して。
原爆のもたらした未曾有の惨禍を、ふたたび人類が繰り返さないため、次世代の子どもたちに訴えようと、児童文学ではさまざまな作品化が試みられてきました。この本はその中でも、詩のように昇華された言葉と、子どもへの暖かいまなざしを感じさせる描写で、長く読み継がれています。登場する人びとの優しさもとても印象的です。ラストで、成長したきぬえが平和祈念式の最中に見る、幻の子どもたちの白いヴェールの列は、読後、いつまでも消えません。
ケロイドのある少女から励ましを受けたことが執筆の動機になったという長崎出身の作者は、『絶唱』で知られる作家の大江賢次の夫人で、すぐれた児童文学を多く残して一昨年召天されました。
あらゆる核兵器の廃絶にむけて運動をすすめていくことは何より大切ですが、こうして作者の心を濾過して深い祈りとなった物語も心から心へ手渡されるものとして大切にしていきたいと思います。(きどのりこ)
『こころの友』1998.08


児童文学書評
http://www.hico.jp




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